//本編の一年〜少し前くらいです。






 俺が好きだと、真っ直ぐな目で言われる度に、死にたくなる。
 俺だって好きだよ。ずっとずっと昔から好きだったよ。今すぐ好きだって言いたいよ。
 でも、言えない。そんな事言える訳が無い。
「はいはい。それは分かったから、もう寝なさい」
 いつもと同じように言い聞かせても、こいつはいつもと同じように黙って俺を見つめるだけだ。
 その視線に耐えきれず、何時だと思ってんだよ、と吐き捨てながら壁の時計を見れば、短針はちょうど、数字の2と3の間を指していた。
 正に草木も眠る丑三つ時だ。人間を含め、動物なんかは言わずもがな。そんな時間。
 明日はきついかもしれないな。思考が脇に逸れたその瞬間、つないだ手にぎゅうと力が込められる。瞬間、呆れと、嬉しさと、期待と、安心と、色んな感情が渦を巻く。
 ……ちょっとでも目を逸らすと、すぐこれだ。
「はーあ」
 わざとらしくため息をついて、いかにも仕方ないなという風を装って、俺はその手を握り返す。

 好き。

 間髪入れず浴びせかけられる言葉に、心臓が跳ねた。小さな手を、握りつぶしそうになる。
 ぴくりと動いてしまった指先で、誤魔化すように、やわらかい手の平をそっと撫でた。
(人の気も知らないで……)
 そう心の中で詰ってはみるものの、結局、知られたら困るのは自分の方なんだ。
 俺がどう思っているのか、どう思っていたのか。知られたら困るから、ずっと隠している。隠しているから、こいつは俺なんかを好きだと言う。
 騙しているのは俺で、それでいい思いをしているのも俺だ。
 嫌われるのは怖いし、関係が壊れるのも怖い。だからといって、このままじゃいられないのも分かっている。分かっていて先延ばしにしてきた。
 いつか気付くはず。諦めるはず。そうやって他人に選ばせて、一人で傷付いたふりをしている。
 傷付きたくないのは自分なのに、優しいふりをして縛り付けてきた。
 本当は、全部知ってほしい。俺の気持ちに気付いてほしい。それでもまだ、俺を好きって言ってほしい。……そんなの、ありえないって分かってるけど。

 ──ゆうちゃん。

 そのままとけてしまいそうなくらい小さな声が、俺を現実に引き戻す。
 なに、と返事をする代わりに、俺はもう一度手に力を込めた。それから、親指の腹で、やたらと女らしくなった幼馴染みの指の背を撫でてみる。
 あたたかくて、なめらかで、俺よりずっと細くてすべらかな感触の、その指を。
(気持ちいいな……)
 思わず目を細めた。
 この手で俺に、触れてくれたら。そう考えずにはいられない。
(気持ちいいん、だろうな……)
 とろりと甘く心地良い夢に浸りそうになって、俺は慌てて閉じかけた目を開いた。
 いけない。いけない。そんな事は絶対にいけない。
 こいつは、俺が小さい頃からずっと守ってきた大事な幼馴染みで、俺に良くしてくれたおじさんとおばさんの子供で、これからも同じように大事にしなくちゃいけない存在だ。もし変な事をすれば、こいつと、こいつの家族の信頼を裏切る事になる。それはだめだ。悲しませたくない。
 だから、俺が最低な人間だって事も、隠さなきゃいけない。
 こいつが俺じゃない誰か、もっといい男と付き合って、ちゃんと幸せになるまで見守ってやらないといけない。今までしてきたように、"いいお兄ちゃん"として、最後まで。
 最後まで。死ぬまで。俺の気持ちが、いつか死ぬまで。
 いつになったら死んでくれるんだって、早く死にたいってずっと願っているのに。そうしたら楽になれるのに。
 でも俺は、こいつを一番好きなのは俺だって思っていたい。
 俺以上にこいつを好きなやつなんかいないって、そう思っていたい。

 ねえ、信じてくれないの。

 泣きそうな声が、部屋に響いた。
 何も答えられなかった。俺は黙って、指を撫で続けた。
 信じていない訳じゃない。きっとこいつは、俺の事が好きなんだろうと思う。幼馴染みの、優しいお兄ちゃんとして振る舞う俺の事を。
 でも俺は、頭の中で、何度も何度もこいつを犯した。
 泣いて嫌がるのを無理矢理押さえ付けて、縛り付けて、全身に触れて、撫でて、舐め回して、散々に嬲っておいて、こんな事をするのはお前が好きだからだと言って、更に責めた。
 好きなら何をしても許されるのか? そんなはずないだろう。本当に相手の事が好きならば、自分の気持ちを押しつけずに、相手の幸せを願うはずだ。大事に、大切にしたいと思うはずだ。違うのか。
 夢の中の自分をそう怒鳴りつけたところで、結局俺は、夢の続きを想像して自慰に耽っていた。こいつが帰って夜になれば、ベッドに残った匂いを嗅いで、この指の感触を思い出して、同じ事をする。
 実際に手を出しさえしなければ、想像上であれば、何をしても許されるのか? 許されるだろう、法的には。
 でも、自分を許す気にはとてもなれなかった。
 誰か俺を殺してくれればいいのに。この気持ちごと、殺してくれればいいのに。
 でも俺がいなくなったら、こいつはきっと泣く。昔、二人でかくれんぼをやった時だって、俺を見つけられなくて泣いたんだから。
 あれからずっと、鬼をやるのは俺だけだったな。見つかったら負けなのに、俺に見つけられると喜んで抱きついてきたんだ。お兄ちゃんは、どこに隠れても絶対見つけてくれるねって。
 なあ、どこに行っても見つけてやるよ。お前がどこに隠れても、お兄ちゃんが見つけてやる。
 だから今度は、お前が俺を見つけてくれないか。
 一回でいい、一回でいいんだ。
 この手を引いて、どこへだって行けると思っていた、ずっと一緒だと信じていた、あの頃の俺を。
 好き。好きだよ。ねえ。どうして。掠れた声が耳をくすぐる。
「……いいから、もう寝ろ」
 俺だって好きだよ。お前しか見えないくらい好きだよ。
 でも、もうどこにも行けない。
(俺だって、好きだよ)
 明かりを落とした部屋の中で、携帯の充電ランプだけが浮いた光を放っていた。
 夜はまだ明けない。


2014/05/29. ARS40/四宮エリサ